紀勢本線の旅 (part1)



 この旅は、文章ばかりです。画像はほとんどありませんので、読んでくれる方、申し訳ありませんが、そこの所は、ご勘弁を…
 

 これで、2回目の大きな旅となる、今回は、青春18切符を使っての旅となった。2日間で効率良く回ると考えると、近辺の紀伊半島を周ってみようという事になった。しかも、関西線や加古川線のローカル線も乗ろうという魂胆にもなった。そして、東海道線では邪道だと言い張って、関西線で行ったのも、これまた良かった…。では、スタートとしたい。
 一日目の行程は、名古屋〜亀山〜加茂〜大阪〜加古川〜西脇市〜谷川〜大阪〜天王寺〜紀伊田辺である。
 二日目の行程は、紀伊田辺〜新宮〜多気〜松坂〜鳥羽〜名古屋である。



1日目

1.関西本線電化の旅

 朝は、7時18分の亀山行きの普通に乗り込んだ。折り返しの電車で、たくさんの乗客が降りていった。やはり、ラッシュは始まっていた。電車は、213系の転換クロスシートだが、残念な事にトイレがないのが、いけなかった。席はほぼ埋まり、立ち客が少々あって発車した。

しかし、連れが腹痛を起こし、弥富で途中下車。さすがにトイレなしは厳しい…。ここで、次の電車が来るまで待つことにしたが、20分ほどで次の電車が来た。

213系で先ほどのより混んでいたが、座る事が出来たので、少し安心した。しかし、弥富駅では、名鉄と共用駅なのに、名鉄は来なかった。本数が少ないのであろうか???すぐに木曽川を渡り、三重県へ。

桑名、四日市と乗り降りするのが激しかった。行き違いによる停車時間が少ないのもすごかった。ちゃんと、相手のほうが待っていたし、こっちが待っていても、すぐに来るから、ダイヤはうまくかみ合っていると言う事が分かった。四日市を過ぎ、伊勢鉄道と分岐してからは、乗客のほうは高校生のほうが多かった。しかも、始業時間が遅いのだろう。うらやましい限りである。

8時50分亀山に到着した。乗り換える客も多く、関西線と紀勢線にほぼ半分に別れた。ここからは、両方とも非電化区間である。


2.関西本線非電化の旅

 次に乗る列車は、加茂行きのディーゼルカーでキハ120系。トイレなどなく、駅内ですることにして、早速乗り込んだ。2両編成で、そのうち、ボックスシートは、4つしかなく、そのうち、一つを確保する事が出来た。あとは、ロングシートである。ワンマンと書いてありながら、車掌がいて、ツーマンだった。結構な乗車率となった。

しばらくして、発車する。キハ120系でも加速は、速いと感じた。亀山から先、関西線の路線の駅間は長かった。なかなか着かない。関に着くのも、かなりの時間がかかっているようだ。しかも、一気に山深くなった。これには、少し驚いてしまった。まさしく山道であった。

関〜柘植間に来ると、いっそう標高が高くなっていく感じだ。スピードも遅かった。すると、車窓右側を見ていると、野猿が数匹いたのは、びっくり。あわててカメラに撮ろうとしても、間に合わなかった。架線の張ってある線路が近づいてくると、草津線が分岐する柘植に到着した。

ここで、かなりの乗客が降りて、空席が目立つようになった。やっと、快適になったと思った。すると、草津線から115系のかぼちゃ色車がきた。あの列車から、乗り換える乗客が少なくて、ホッと一安心であった。新堂、佐那具は山の中の駅であった。伊賀上野の近辺に来ると、やっと、山から離れて、盆地に入り、田んぼや畑が広がっていた。

伊賀上野は、意外にも大きな駅構内であった。ここで、たくさん乗り込んできた。関西線の行き違いの線路は長い。昔は、主要路線であった事を物語っているようであった。しかし、伊賀上野を出ると、また山岳路線に逆戻り…。しかも今度の場合は、一駅ごとにたくさんの乗車の客がいると言う事であった。このあたりから、関西方面に集客があるようだ。山が果てたのは、終点の加茂駅の近くであった。10時24分加茂に到着した。


3.大和路線の旅

 隣のホームに待っていたのは、大和路快速であった。しかも、221系の6両編成であった。これには、正直うれしかった。しかも、加茂駅は近代化されていて、立派に見えたのも事実であった。乗り込むと転換クロスシートがズラリ…。これで、大阪まで快適さが約束された。2両のディーゼルカーから一気に6両編成の221系電車になるのだから、かなり空いていた。

座るとすぐに発車。やはり、ディーゼルとは違い加速が全然違っていた。しかし、木津までは、停止信号とかに阻まれて、なかなかスピードが出なかった。快速といっても、王寺までは各駅停車であった。

奈良に来ると、一気に乗り込みが多くなり、満員となってしまった。このあたりから、スピードも上がり、快適な乗り心地となった。やはり、120キロは出しているのであろうか?王寺でもたくさんの乗り込み客があり、ぎゅう詰めに近い状態となった。

天王寺に着いて、やっと、降りる客が増えた。大阪環状線でも通過する駅があるのは、少なからず驚いた。そして、11時21分に大阪に到着した。ここで、終点かと思っていたが、なんと、大和路快速は京橋を過ぎて、そのまま、一周して天王寺まで行くのであった。これは、知らなかった。


4.221系の旅

 大阪から東海道本線のホームへ向かった。11時45分発、姫路行きの221系の新快速に乗り込んだ。やはり、途中駅だから、混んでいた。しかし、神戸でまとまった下車客があり、席を確保する事に成功した。新快速の良いところは、特急並みであると言う事であった。スピードも速いし、停車駅も少ないからである。しかも、線路が複々線になっており、海も確実に見えた。

舞子駅では、明石海峡大橋が横切り、なかなか見物であった。でも、スピードが速いために、すぐに遠ざかってしまった。西明石を過ぎると、複線になってしまい、ロングシートの通勤車がまったくいなくなった。12時35分に加古川駅に到着した。


5.加古川線の旅

 そこで、駅から出て、昼飯の調達と考えた。しかし、コンビニしかなく、あきらめて、駅の中に入り、立ち食いそばで、昼飯とした。ここから加古川線に乗る。

13時10分発の西脇市行きに乗る。1両編成のディーゼルカーで、しかも暖房が強く暑かった。乗客はたくさんいた。おもに、高校生が多かった。加古川線らしく、加古川沿いを列車が走っていた。厄神駅や粟生駅では、三木鉄道や北条鉄道、神戸電鉄の乗換駅のため、ここで、一気に乗客が減った。そのため1両編成でもかなり空いていた。

そして、西脇市に到着し、すぐ隣の一両編成の谷川行きに乗車した。この辺りまで来ると、山深いイメージの路線となった。にほんのへそ公園などという駅もあり、珍しそうに見ていた。さすがに、さきほどの西脇市行きとは違って、のんびりムードであった。14時44分に谷川に到着した。関西本線以来のローカル路線を体験した。やはり、ローカル線はいいものだ。しかし、空いていればの話だが…。


6.福知山線の旅

 谷川からは、福知山線に乗る。まだ時間があったので、待合室で待つ事にした。待合室に行こうとすると、加古川線の電化推進の幕があった。現に計画が出ているようであった。こうなると、103系が流れてくるのであろうか?221系などが来れば良いのだが…。と待合室で考えていると、大阪行きの快速が来た。

来たのは、117系の6両編成であった。まさか、こんなところで、117系に会えるとは思わなかった。おかげで、大阪まで転換クロスシートで良い旅ができるので、うれしかった。車内は空いていた。

谷川を出ると、川沿いを走るようになった。何の川か分からないが、上流であることはわかった。意外にもこのあたりは、ローカルの雰囲気であった。

しかし、新三田辺りに来ると、それはだんだんと変わってきた。新三田、三田駅は、都会型駅であった。そして、たくさんの乗客が乗り込み、満員となってしまった。だが、三田を過ぎると、このまま都会が続くのかと思うと、そうではなく、山へ突入と言う感じであった。西宮名塩は、トンネルの中に駅があった。これには、驚いた。しかし、半分は、地上にあった。

山ばかりだったのが、宝塚に近づくと一気に変わった。もはや、山の雰囲気は、影すらなくなってしまった。まるで、中央線の高尾駅を思い出すほどであった。ここでもかなりの乗客が乗り込んだ。16時55分大阪に到着した。久々に117系に乗ったが、乗り心地は良かった。


7.環状線

 すぐに環状線のホームへ向かった。いよいよ大阪のラッシュを体験する事に…だが、それに反して、環状線の内回りの電車は空いていた。103系であったが、天王寺までは、空いていたが、ここからたくさん乗り込みがあった。

ここで、阪和線のホームへ向かった。乗る電車は、今日最後の紀伊田辺行きの快速であった。とりあえず、晩飯にと駅弁を購入した。車内で食えば、ちょうどいい時間だろうと予想していた。そして、8両編成と言う事だから、一番前に行った。まだ発車まで時間が有り、入線していなかった。そのため、前のほうに並んで、電車を待っていた。
 予想では、115系などのかぼちゃ車だろうと予想していたが…。なんと来たのは、103系の通勤ロングシート車!まさかとは思っていたが、やられてしまった…。トイレなしで、約3時間くらい…。かなり苦痛な旅になりそうだ…。


8.阪和線の地獄旅

 発車時間が近づくと、かなり満員になってしまった。快速だから混むのであろう。
 17時58分発車した。乗り合わせた時間に失敗があった。そのため、ここは、ウツラウツラして、通過する事に決めた。そして、やはり快速だ。駅に到着すると、降りる人が多い。そのために、和歌山に着いたときには、かなり少なくなっていた。乗り込んでくる客も少なかった。

そして、ここで、4両切り離され、4両編成となって、紀伊田辺まで行くのである。本当なら、ここから115系や165系の世話になるのに…と思いながら、今は103系に乗っている…。つらいものである。この時代に、221系や223系の紀州路快速があったら…と思ったりしたものだ。

御坊の辺りに来ると、もはや乗り降りする客が全くいなくなってしまった。1両に5〜6人程度となってしまった。こうなってくると、横に倒れる事も出来た。ロングシートが簡易ベットになった。ここからが、また長かった。海が実際に見えるはずなのだが、暗いので全く分からず、苦痛な旅が続いた。南部を過ぎたときに、安堵感があった。

やった!もうすぐ終点だ!と…。そして、20時59分にやっと紀伊田辺に到着した。終点まで乗っていたのは、かなり少なかった。最後がすごく疲れてしまった。

すぐにホテルに向かった。やはり、時間が時間だったせいか、人通りは全くなかった。警察署でホテルの場所を聞いて、宿へ向かった。かなり距離があったが、なかなか良い宿であった。また、明日も早いので、早めに就寝した。






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